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合気道について

合気道が戦後急速な発展をみ、しかもこの純粋な日本の武道は日本ばかりではなく、海外諸国で異常なブームを呼んでおります。

合気道がこのように生活文化や言葉の違いにかかわらず、成年男子はもちろんのこと、少年、女子、年配者にも広く愛されるにはそれだけの理由があります。

 

合気道は自然の理法に逆らうことがなく、天地自然と一体をもって行う技ですから無理がありません。即ち、相手の押してくる力や引く力に自分の力を合わせるため、体格体力の大小強弱、男女、年齢にこだわることなく、稽古も過激にわたらないで誰にでもできる訳です。

 

また通常の稽古は純粋武道の建前をとっているので試合形式によらず、自ら仕手(技を行う者)、受け(技を掛けられる者)になって形を反復稽古しながらこれを身につけ実際役立つようにします。それゆえに勝負にこだわったり、優越感を抱いたり、敗北感に襲われたりすることなく、澄んだ気持ちで相手と和して技の上達をはかることが出来ます。

​合気道が「和の武道」と言われる所以です。

合気道の歴史

合気道は、その端を『 大東流合気柔術』に発しています。大東流は800年前の昔、源義家の弟、新羅三郎義光が創始したといわれるもので、甲斐源治武田家が代々これを秘蔵し絶対門外不出としました。

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新羅三郎義光

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そのため、明治時代になって武田惣角先生によって世に公開されるまで、一般にはその存在すら知られなかったものと伝えられています。

武田惣角先生

合気道は、この武田惣角先生の門人の中で特に卓越していた植芝盛平先生が、大東流に我国古来の各流各派の武術の精髄を取り入れ、それに独自の工夫を加えて確立されたものであり、精神技術両面において現代に即応した武道として戦後発表されました。

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植芝盛平先生

合気道養神館と塩田剛三先生

合気道養神館』は、昭和30年6月10日に新宿区筑土八幡に設立され、以来代々木、小金井、上落合を経て、現在の新宿区高田馬場に道場の拠点を置き、国内はもちろんのこと欧米諸国に至るまで幅広く活動を続けております。

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特に国内においては、警視庁をはじめとし、各企業団体や各教育機関に浸透、また、道場設立以来各界の多くの著名人が来館され、親しく演武をご覧になられ、その後熱心に合気道の稽古をなさっている方々も枚挙にいとまございません。

昭和62年5月に浩宮徳仁殿下が本部道場にご台臨され、長時間にわたり養神館合気道の演武をご覧になり塩田先生とご歓談なされました。

塩田剛三先生は大正4年に、名医でしかも国士としても著名な塩田清一先生の次男に生まれ、18歳にして植芝盛平先生の門に入り、約8年間、行住坐臥、常に植芝先生とともに在って合気道一筋に修行を積まれ、天賦の才もさることながら、あの鮮やかに冴えた技と気迫はすでにこの時に養われていたと言えましょう。

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画面左に塩田剛三先生

また、特に合気道が一般の注目を浴びるきっかけとなったのは、なんといっても昭和29年7月に行われたライフ・エキステンション(長寿会)主催の『 日本総合武道大会』で、塩田先生の演武が非常な好評を博し、最優秀賞を受賞されたことからでしょう。

以来、急速に合気道への関心が高まり、大会1年後には財界の方々が塩田先生を擁し『 合気道養神会』を結成。養神館道場を設立し現在に至っております。

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